昭和おふみ回想ぶろぐ

昭和の思い出を忘れないうちに

 防空壕

BSで昔の朝ドラを見ていると、戦争中の話がよく出てくる。

空襲警報が鳴ると防空壕に入って、収まるのを待つ。

 

私は母に聞いてみた。

「おばあちゃんの家にも防空壕ってあったの?」

 

「やっぱり庭とかに穴掘るわけ?」

 

もぐらじゃあるまいし、穴掘って人間が入れるわけないんだけど、どうしてもスコップで穴をほっているイメージなんだよね。

 

祖父の家の防空壕は、店の中にあった。

自宅兼店舗の店のほうの床の下に、穴を掘り階段をつくりコンクリートで固めて作ってもらった。

警報がなるたびに、そこへ家族みんなで入った。

 

危ない時は山のほうへ逃げた。

本家が山にあって、そこに向かって走ったらしい。

山は、木が生い茂っていて逃げづらいものの、木が人を隠してくれる。

木を隠すなら森の中・・ってことだ。

 

祖父の家は、神奈川の海に近いところに建っていた。

なので、海に逃げた人も大勢いた。しかし海に隠れるところなく・・・

たくさん人が死んだ。

海のほうが近いのに・・と子供だった母は思ったらしい。

子供の足で山を登るのは、大変なのだ。

だけど、絶対に海に行っちゃだめだ!!と言われた。

 

母は長女でその下に小さい妹と弟がいた。

山の上から見る空襲は、まるで花火のようでものすごくキレイだった。

 

そう私に語った。

 

戦争のさなか、逃げ惑うさなか、

その花火の下で人が死んでいたんだよね・・・

なんか複雑な気持ちになる。

別の意味で、子供でよかったのかもしれないけどね。

 

昨今のウクライナ侵攻以来、防空壕が欲しいと初めて思った。

マンション住まいなので、絶対無理だけど・・・。

せめて町の要所要所にシェルタ-作ってほしいわ。

令和になって、2022年にもなって、こんなことを思っている孫を、天国にいる祖父母はどう思ってるのかしら。「ごめんね」となんだか私が悪いわけでもないのに、謝りたい気分だ。