昭和おふみ回想ぶろぐ

昭和の思い出を忘れないうちに

2022-01-01から1年間の記事一覧

幼稚園児の心理

幼稚園では、たまに母親参観があった。 その日は教室から離れて、集会場みたなところでみんなでお弁当を食べるのだ。 食べる前には必ず、(おべんと~おべんと~~たのしいな~~♪)的な歌を歌った。 「お弁当の歌」に合わせて、リズムをとって手をたたき、座…

幼稚園のお昼

昭和30年後半に幼稚園通っていたが、思い出はあまり良いものがない。 早生まれの私は、何をするのもうまくできなかった。 幼稚園児の1年の違いは、相当な差があったのかもしれないが、原因は自分自身にあったのだと思う。 自分で何かする・・ということがで…

井戸ポンプ

私の記憶は、たぶん3才前後から始まっている。 父が支店を任されて(銀行とかじゃなく、ちっぽけなお店です)引っ越してきた風景だ。 原っぱの隣にポツンとたつ平屋が、店舗兼自宅だった。 頭上には、○○支店と書かれた大きな看板があり、木枠のついた全面ガ…

 防空壕

BSで昔の朝ドラを見ていると、戦争中の話がよく出てくる。 空襲警報が鳴ると防空壕に入って、収まるのを待つ。 私は母に聞いてみた。 「おばあちゃんの家にも防空壕ってあったの?」 「やっぱり庭とかに穴掘るわけ?」 もぐらじゃあるまいし、穴掘って人間が…

祖父母の家

私の家は商売をしていたので、よく祖父母の家に預けられた。 母の弟である叔父が、オートバイの後ろに私を乗せて迎えに来てくれた。 3才くらいのことなので、私は記憶にないのだが、大きくなって祖父母の家にいくたびに、その話をきかされた。 その当時の祖…

祖父の丁稚奉公

祖父母は明治生まれなので、さすがにもうこの世にはいない。 二人とも長生きで80過ぎるまで元気で過ごした。 祖父は、12才で小学校を卒業すると東京へ丁稚奉公に出て行った。まだ子供の年齢なので、つらくて3日で逃げ出して帰ってきてしまった。とはいえ家に…

ワンマンバス

幼稚園の頃、路線バスには運転手さんの他に車掌さんもいた。 首から下げた大きながま口型のカバンから乗車券を買う。 男の人もいるのだが、私の乗る時間帯は女性の車掌さんだった。 ドアは車掌さんが手で押したり引いたりして、開け閉めした。 「発車オーラ…

お風呂屋さん

昭和30年代 我が家にはお風呂はなく、近所にあるお風呂屋さんに通っていた。 週に3回くらい通い、髪を洗うのは週に1回くらいだった。 うわっ!!汚ねっ・・って思うかもしれないが、そもそも毎日お風呂に入るって発想はない。 洗面器の中に石鹸とタオルと下…

昭和生まれ

おふみです。 昭和生まれです。 戦争??なにそれ?はるかかなた昔のことじゃん!! そう思って過ごした子供時代だった。 いやいや、中学生も高校生時代もOL時代も。 それが50歳前後になってから、突然気づいた。 私が生まれてくるたった十数年まえ、戦争し…