祖父母の家
私の家は商売をしていたので、よく祖父母の家に預けられた。
母の弟である叔父が、オートバイの後ろに私を乗せて迎えに来てくれた。
3才くらいのことなので、私は記憶にないのだが、大きくなって祖父母の家にいくたびに、その話をきかされた。
その当時の祖母は、50才くらいだったと思う。
いつも着物に白い割烹着姿で、髪はひっつめてお団子にし、黒いネットのようなものでまとめていたと思う。
庭でヨモギをとり、よく草餅を作った。
私は粒のあんこが苦手だったし、子供なので草っぽい匂いと味も好きじゃなかったと思う。でも一緒に草をむしったり、餅にあんこをつめたりするのは楽しかった。
冬は大きな火鉢が活躍した。
寝るときは湯たんぽと豆炭あんかを布団の足元に入れてくれた。
昭和30年代は、自分の家でもそんな感じだったと思う。
あんかのフタをあけて、火の中から取り出して赤くなった豆炭をセットして、専用の布袋にいれるのを、いつも見ていた。朝になってフタを開けると、灰になった豆炭を取り出すと崩れる時もあった。
当時の自分の家にはなかった風呂が、祖母の家にはあった。
お風呂は家の外に作ってあり、下駄をはいてお風呂場に行くのである。
トタン板で囲ってあるが、下は土間で洗い場はスノコの板で作ってあった。
段差がかなりあるので、小さい時はひとりで風呂場に近寄らないように言われていた。
浴槽もかなりの深さがあるので、祖母のひざのうえに立ちながら、ふちにつかまったりしていた。孫をお風呂に入れるのに、相当神経をつかったのではなかろうか。
昔のお風呂は子供にはかなり危険だった。だからこそ大人が目を離すことなくしっかり気をつける、それが当たり前の時代だった。